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海を歩く神経に塗り替わる皮膚

2017年

[] 分岐

夢を見た。目が覚めて、わたしのあの一言を聞いたときの目は、驚きと疑いが入り混じっていたのではなかったかと思って、どんな気持ちだったのだろうと考えた。それからわたしはどんな気持ちだったっけ、と思い出そうとした。結果として成功したからよかったしいままで忘れていたけれど、失敗していたら何かを台無しにしていたかもしれない一言だったのだろうと、だから不用意なチャレンジングな一言だったかもしれないと、だからそれなら自分でやってみたらと言われたのかもしれなかったと、そう言われて一瞬不安におもったからすこし慎重に取り組み方を考えたのだったと、そう思った。

外から帰ってきたらお知らせが届いていた。別の道を選ぶことにした、という報告だった。あぁ、と納得するみたいな気持ちと、あぁなんていうことだ、とぐらぐらする気持ちとで、立ったり座ったり小物を整理したり机を拭いたりした。どうしようもなかった。

送ってくれたクリスマスカードを開いて、マリメッコが好きだったことや、涼やかに袖を折り返した麻の白いブラウスが夏に似合っていたこと、ラウンドトゥのバレエシューズが好きだったこと、きれいな色のスカートをきれいだと言ったら少し恥ずかしそうにでも嬉しそうに笑ってくれたこと、話に夢中になると目が大きくなることを思い出した。お菓子の話に目がなくて、きれいなお菓子が好きで、おいしい食事をだいじにしていて、自分がいまなにを食べたいかをちゃんと知っていて、それをちゃんと言ってくれるから、遠慮とか心配とかしなくてよくて安心だった。気配りの人で、なにかしてもらったときには必ずおみやげを添えて、そういうときのためのかわいい紙をいつでも持っていた。なにかを書くときには、それを読む人がなにを求める人で自分はその人にどう動いてほしいのかを、どんなときでも考えていて、だからとても柔軟で適切なのだった。利己のなさ、その軽やかさはあまりになめらかで、それなのに同時に刺すべきものを知っていた。わたしがおおきな失敗をしたときには謝りにもいってくれた。びっくりして申し訳なくてありがたくて、大好きなのに迷惑かけちゃってごめんなさいありがとうございますとおもいながら、頭があがらないってこういうことだとおもった。「内」と「外」を分けていて、その線引きはときにしなやかに変化して、そうして「内」なるものに対してはかならず全力で真っ向勝負だった。真剣だった。それは真摯でときに激しくて、わたしはその激しさに惹きこまれていた。強くて、まじめで、かわいらしくて、優しかった。

奇跡みたいなラッキーなめぐりあわせだったことなんてありすぎるくらいあって、なんなら奇跡しかなかったかもしれないと言っていいくらいだけれど、ほんとうに、あの2年半はなんというタイミングだったことかと、わたしはほんとうについているしこのうえなく恵まれているとあらためて思う。つながりのつくりかた、細やかに想像すること、差を認めること、仕方ないことはときにはスルーして次に進むこと、外に打って出ること、向き不向きを活かすこと。となりにいたからこそ見せてもらえたものがたくさんある。たくさんたくさん、ほんとにたくさん。

またきっと一緒になにかできると思って、そう思うだけでわくわくした。気持ちは無敵だった。大好きだった。いとおしいとすらおもっていた。わたしだけの上司だった。

別の道になるのはさみしい。残念だって言いたい。だって痛手はおおきい。でも進む先できっと交差する気がする。それはきっといいことだ。進んだ先で見えた世界を、きっと話してくれる。だからわたしも話せるように、見せてもらったものと同じようにはできなくても、大きく見開いた目でまた笑ってもらえるように、ちゃんと歩いていたい。