Hatena::Groupvisit

海を歩く神経に塗り替わる皮膚

2015年

[] この島にいた

2015年の終わるいまになって2014年の記録を書いた。更新さいきんなくて寂しいな、というメールが届いて一ヶ月。返信しないままでごめんなさいと思いつつ、身動きのとれないまま時間が過ぎた。御用納めを終えて一息ついたら別のひとがいま釜山にいると言う。それでなんとなく思い出したのだった。

帰ってきては出かけて、の続いた2014年は、だから記録を書く隙間がなかったのだった。それから2015年を思い返してみて、2014年とは対照的に、一度も飛行機に乗ることなく、ずっとこの島の中にいたことに気づいた。そしてカメラを使うこともなかった。携帯電話を持ち歩かないのでちょっとした記録もない。

ふとした隙間の気持ちになって考えると、いろいろなことがたまたまとしか思えないことの連なりでいまを作っていると思うし、同時に、このいまを作るに至るなにがしかに自分が関わってきたともおもう。けれどもその関わりは、決して一直線のあるいは一対一の因果関係にあるのではないことがわかる。その関わりをしていなければいまはないとはおもうけれど、だからといってその関わりをしていたことだけがいまを作っているのではなくて、つまり自分がなにかを頑張らなければなにも起きないけれど、頑張ったからといってなにかが起きるというわけではなくて、そこにはいつでも、たまたまとしか思えないいろいろなことがちょうどうまい具合に、もっと言えば奇跡のように同期して、それでいまがある。そうおもわずにはいられないことが、あまりに強くそうおもうことが、多々あって、にんともかんとも、この世界は不思議だなあと改めて。

2014年

[] 福岡

写真がなければ忘れていたことというのは、間違いなくある。写真はおもわぬものを写していてびっくりするというのはよくあるけれど、それだけではなく、大きな記憶も肩代わりしてくれるから、その分わたしは記憶をなくしてしまえる。

そんなことを言っても、写真がなかったとしても記憶はなくしてしまっているのかもしれない。

いま考えても、日帰りみたいにして福岡に行った理由はわからない。ただ、あまり使わなかったカメラに残っていた写真を見たら、写さなかったことも覚えていた。広い公園を歩いた。大きな木のテーブルに出された大きなお皿のスパゲッティを食べた。風の強い海のそばを歩いて、赤茶けた造船のお尻を眺めながらコーヒーを飲んだ。それは二階であたたかで、狭い感じのする、けれどもきゅうくつではない場所だった。それからなぜか重たいステンレスのフライパンを買って(使いづらくてけっきょく一年もしないうちに手放してしまった)、入るのに勇気がいるような黒々した門のお蕎麦のお店に入った。福岡は川のある街で、だから風はいっそう冷たくて、冬の印象がさらに強くなっている。それから展示のある場所をうろうろして、竹か何かに覆われたようなモンゴルっぽいソファにくるまるようにして寝た。子どもが寄ってきて、覗き込んで、去っていった。それから水炊きを食べてほかほかして帰ってきた。

なんだかとても冬だったようにおもうし、きっと実際そうだったのだろう。

2014年

[] 北京、中国国家図書館

はじめての北京は黄色かった。「PM2.5」というものを知ったのはかなり直前になってからだった。いつもながらニュースに触れておらず、マスク持っていったほうがいいかなぁと同行の先輩に聞かれて「え?」というところから始まった。そういえば5年前の上海は黄色かった。

会議室から見る北京の空はもやの中のようで、その夜わたしは夢を見た。埃っぽいSF映画のような古代遺跡風の場所を会議メンバーと一緒に飛んでいて、目が覚めてすぐにPM2.5のせいだとおもった。

博物館としての典籍資料の展示は素敵だった。

そして敦煌の文化遺産と同じように、電子図書館も体験的スペースとして提供されていた。電子を広めるためにはまずモノとして知覚させるところから、というのは一つの方法だとはおもうけれど、それを実現できてしまうところが中国だなぁとしみじみ。

 

これはホテルで見た看板。中国の南のほうに行ったときにバスの中に流れていたテロップの「文明人たれ、食べカスは捨てるなかれ、車内は走るなかれ」を思い出した。

2014年

[] オースティン

振り返ってみると、ベルギーとオランダをぷらぷらして帰国した10日後にはテキサスにいたのだった。たしか乗り換えのシカゴで、滞在予定日数に比べて荷物が少なすぎると言われて入国審査で心配?されて、なかなか通してくれなくて困って、大丈夫、必要な着替えはこのバッグに入っているし、洗濯だってする予定なんだから、と何度も説明してようやく通れたのだった。ありがたいけれど親切ポイントがちょっとずれている審査官に当たってしまったのだろう。

 

うっかりしていて気付いたときには会場近くの宿はほぼ満室。残っているのは、価格に驚いてひょっと声が出てしまうようなお高いホテルばかりだった。

それで明け方みたいな時間に出発する必要があるくらいに離れた宿を予約したら、会議の当日、宿から会場までのバスの路線を間違えて、近くの工場の人やら通りかかったバスの運転手さんやら乗客のみなさんやらに、それはもうたいへん助けてもらって、ほうほうの体でぎりぎり会場に到着した。たぶん2分前くらいだったのじゃなかったかしら。しかも用意してくれていた名札に手違いがあったらしく、その受付をしてくれていたのが会議のホストのえらいっぽい人だったので、会議参加者に知り合いが多くて、会議の最中なんやかんやと気にかけてくれていろいろな人に紹介してくれて、そのご縁でいまに至るまでやりとりが続いているという意義深いハプニングにまみれた初日だった。

ポスター発表をするのは楽しかった。いろいろな人に話しかけて、売り子さんみたいな気分だった。会場全体が耳を傾けていると緊張してしまってだめだし、そういう場では発表者と聞き手がはっきり分かれていて距離がある。けれどもポスターだと、相手と一対一で話すことができるし、より個人的な関心もぶつけてもらえるし、直接的な声に触れられるくらいには距離が近い。

 

持って行った資料はすべて配って身軽になって帰るんだ、と決めていたので紙の荷物は全て手放してきた。だから私の手元には記念っぽい品はなにも残っていない。あるのはただデータだけ。

2014年

[] ブリュッセル

一年前のことは、遠すぎる昔のことで、写真を見ても街の名前を思い出せない。あまりにもいろいろなことがあった。けれどもせっかくだから、いくつかの断片だけでも残しておこうとおもった。

音の博物館みたいなところを目指して歩いていたら、ベルギー王立図書館と読める気がする旗があって、ふらふらと入ったのだった。

それからたしか、庭のようなところに出て一休みして、丘のようなところを登って街を見下ろして、坂の途中に目的の建物があったような気がする。建物の中には楽器がきらきら並んでいた。たぶん、古い映画のようなエレベーターがあったのではなかったかしら。ぎぃぎぃ鳴るような檻のようなエレベーター。ブリュッセルは都会で、きっと少し汚れていた。