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海を歩く神経に塗り替わる皮膚

2013年

[] 浅草酉の市

冬が足早に過ぎ去るなんてうそ。

よくばりに手を差し伸べるみたいにして世界を覗き込んでいると、手を差し伸べられていることに気づいてびっくりする。それはときおりなんていう頻度ではなくもっとたびたび起きるから、冬もゆるりとして見える。そうして、ふよふよの毛糸玉にくるまるようなやわらかなきもちになる。手触りのよいものは好きだし、好きなものはたいせつにする。

だんだん自分のことは自分でできるとおもい始めていて、でもその「できる」にはちゃんと、ぜんぜんできないことが入っている。よそ見しないでちゃんと歩くことができないし手からこぼれ落ちるものに気づけないし足下を知らないまま転んでしまってけがをする。

そんなぼんやりなのに、それともだからか、「よきもの」はめまぐるしくやってくる。けれどもわたしのもちものは少ない。好きなものをためらわず好きと示すことくらいしか取り柄がない。だからよきものとよい関係を築きたいときにはひとびとに頼ってくるくる回って、それでたっぷりだなと思う。

2013年

[] 瀬戸大橋

夏が強い。まぶしい。沈む。埋もれる。

何度かの休日を首のうしろでどうにか過ごしたあとの夜、旅のお誘いが飛び込んできた。不意のお届けものはいつものことで、それでも、なにかあったのかなと思う。いくつかの可能性を思い描きながら、私のいのちの何分の一かとの共鳴に、青い葉と白い花の風にゆらぐのが見えた。

明るい空と瀬戸内海にぴったりな色を瀬戸大橋に選んだのは東山魁夷だという。それはどんな季節の空にも合う、すっと抜ける透明な雲のようで、じっと見つめてもぼんやり眺めても、あぁ、とうなずいてしまう、そんな色をしていた。

はじめて間近に見る東山魁夷の絵には、日本画でしか表現し得ない明るい深みある色が広がっていた。空にいくつもの色があるように、にじむのでもなく重なるのでもなく隣り合う別の色へと境目なく色が広がる。その境目のない色の空間は、明るくて、明るいのに深くて、深いのに澄んでいて、そのことが不思議で不思議で近づきたくて、あまりに近づきすぎて警報が鳴ったと職員さんに注意された。

2013年

[] こんぴらさん(金刀比羅宮)

走っているとね、前向きになるんだよね。それで輝くひととの出会いも、ぐあぁーーって広がって。そうすると私もがんばろうって思って。やりたいことにぐんぐん向かっていける気がするの。そう言う彼女は走っていなかったころも輝いていたけれど、いまはまたぐんと輝きを増して私はますます好きになる。

800段弱の階段に息切れする私とは対照的に、彼女は涼しい顔でにこにこしていた。たいていのことを気力でやってそのまま忘れて生きてきた私とは違って、彼女は自分の望むことに向かい合う中でほんとうの力を身につけてきて、そうして、だから、ほんとうに強いのだと思う。強くて、美しい。

2013年

[] 祖谷の蔓橋

蔓橋(かずらばし)に行きたいと言われて渓谷の好きな私は一も二もなく賛成した。山道の緑は気持ちよく、川は深い緑に澄んでいて、違う緑ではあったけれども東山魁夷を思い出した。

蔓(つる)を編んで作った蔓橋は思いのほか怖くて、足下を見ながら一歩一歩、そろりそろりと渡った。橋の右側を歩き始めてしまったら、左側へは怖くて渡れなくて、左側のほうが山の奥が見えてきれいなのにそちらを見られないまま渡り切ってしまった。

ゴールはいつだって始める前は遠くて、たどり着いてしまうと短くてびっくりするから、ゴールがあることは感じながらもあまり目指さずに味わったほうがいいのかもしれない。

2013年

[] 桂浜

こんなにも海らしい海は久しぶりだった。少しずつ大きくなる潮騒にわくわく。ねぇ、聞こえるね、うん、聞こえる、と声も弾む。松の木、岩、砂浜、白波。大きくなったり小さくなったりする波の白いしぶきには、海の色があった。

風はおだやかで、波もおだやかだった。砂浜をすこし滑りながら埋まりながら歩く。

寄せては返す波の海色のしぶきに見とれていたら、膝まで濡らした彼女がきらきら笑っていた。