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海を歩く神経に塗り替わる皮膚

2017年

[] ベルリン

12月の夜はベルリンのいろいろなクリスマスマーケットを歩いた。大規模できらきら明るいクリスマスマーケットは、お店のつくりがどれも似ていた。だから、そうではない、小規模なマーケットが心に残っている。

Marienfeldeの村の教会のクリスマスマーケットは自治会のお祭りといった風情で、小さな規模のいかにもクラシカルなマーケットだった。2回の週末、金土日しか開催しないそのマーケットでは、近所のお店やお母さんお父さんが協力しあっているのがよく伝わってきた。

その週明け、あたりを霜が覆った。枯れ木を白く美しく縁取るのは雪ではなくて霜だったのだと知った。

Späth'schen Baumschulenのクリスマスマーケットも印象深いものだった。Marienfeldeよりも大きな規模で、けれどもこれまた特徴あるお店がたくさん出ていた。凝ったジャムや木製やガラス製の飾りもの、金属製の仕事道具、面白いデザインの傘、さまざまな花の球根、花の香りやあまい香りのするお茶、甘かったり辛かったり酸っぱかったりとバリエーションが豊富すぎてお腹がいっぱいになるほどの調味料。たくさん試食して特に果物のビネガーと甘みと酸味のいりまじったマスタード"Senf"に惚れ込んだ。そのあとマンゴーのSenfに出会っていろいろな食材に合わせるようになった。ぶらぶら歩いては持ち込んだシャンパンとシュトレンを分け合って乾杯し、ぶらぶら歩いてはあつあつのLangosを分け合い頬張って笑い合った。ミニコンサートを背中に焚き火テントであたたまった。きっとこれがほんとうのクリスマスマーケットなんだとおもった。

遡って11月のチーズの祭典"Cheese Berlin"ではワインで乾杯しながらフランスやオランダ、北欧を含む各国から集まったチーズをあれこれ試した。盛り合わせを注文しては、おいしいおいしいと目をまるくし合った。たくさん試食しておいしいおいしいとうなずき合って、それまでに味わったことのなかった濃い香りのチーズや甘やかなチーズ、とろけ出るチーズを買い込んだ。

2017年が明けるとき、市の中心部にはたくさんの人が集まってカウントダウンパーティーをしていたらしい。私は東の果てで年の明ける少し前からあちこちで上がる花火の音を聴いていた。ゆいいつ残っていたflatmateが、こんなときは外に出ないのが得策、と肩をすくめた。

年が明けたその瞬間、ひとつひとつの花火の間には、なんの間もなくなって、まるで雨が降るみたいに花火が降り始めた。近くでも遠くでもぼんぼんじゃんじゃん上がっては落ちた。ばしゃばしゃともじゃーじゃーとも聞こえる不思議な音のかたまりだった。まるで色づいた噴水が地平に広がっているみたいだった。夏を見送るあの安堵とすこしのせつなさみたいなあいまいな気分とはなにひとつ結びつかない華だった。ただただ喜びが弾け飛んでいた。笑いが込み上げてきて止まらなくなってついに声が出た。

窓を明けたら遠いはずの火薬のにおいに咽せそうになってあわてて閉めた。そのにおいの強さにまた笑った。flatmateは顔をしかめて、こんな花火は見るだけにとどめるのが得策、と肩をすくめて、それから笑った。こんなおかしな花火はもう二度とないかもしれない。

1月のはじめ、雪が降った。先生が安心したみたいな顔をして「冬が来たねぇ」と朗らかに笑った。私にとってはもうとっくのとうに冬だったけれど、クリスマスマーケットで寒さに足踏みするわたしに「まだまだ冬じゃないよ」と笑った友達を思い出して、ほんとうにこれからが冬なんだ、となんだかぽっかりした。

2016年

[] ベルリン

いつもの道、いつもの建物、そのまわりには無数の知らない道、知らない建物がある。知らない建物のなかには知らないものが、ひとが、営みが詰まっていて、そこには無数の素敵なものがある。そういうものを、たくさんたくさん見て歩いた。あやうさもこわごわも含めて、歩いた。歩けて、よかった。

いま、たぶん私は、生きることを感じながら生きているなとおもう。限られた時間の中で、限られた時間の中だからこそ、なにかしらがぎゅっとつまってあらわれてきている気がする。ほんとはこれまでだって同じだったはずだけれど、同じようには生きていなかったなとおもう。明確な終わりがある中で、できることとできないこと、やるべきこととやりたいこと、というのもはっきり選ばなければならない。もう二度と経験できないかもしれないものが、目の前に、明確に、あるから。だから。

長い旅みたいな時間。区切られた長い時間。きっとこの、前と違ういまの感覚は、わたしにとってたいせつなことのひとつだと思う。生きることを感じながら生きるということ。

ほんとにたくさんのいろいろな良きものがある中で、すべてを手にいれることはやっぱりできない。時間も、気持ちも、頭も、限られているから。勢いも勘も考えも気持ちも含む、ぜんぶのわたしで、たいせつなこと、必要なこと、やるべきこと、やりたいことをつかむ。自分のいまの皮膚の内側を感じ取りながら。

そんなことを考えていた矢先、こんな言葉をもらった。

「生を愛している私たちは、さまざまな人生をやってみたい。今やっている程度のことでも、他のいくつかの可能性をつぶさなければ出来なかった。そう思うと滅ぼしたその可能性のためにも、納得いくように仕事をしなければと思うのである。」

2016年

[] ドレスデン

2度目のドレスデンはトラムで街を行ったり来たり。雨と風と空気の冷たさにさむさむさむさむ言いながら歩いた。ドレスデンの石があんなにも黒ずんでいるのはなぜだろう。もともと真っ黒なのかなとおもうくらい黒い部分もあって、けれども理由がわからなくて頭はわあわあするばかり。

新市街にあるKunsthofは面白くされた建物たちの集まりだった。色塗り、お絵描き、タイル貼り、レリーフはもちろん、金属の板の装飾、パイプの装飾、そしてそのあとに登場した太い木を突き通した籐のベランダのもこもこっぷりに、あっけにとられて見上げた。

空間把握の得意なひとのあとにくっついて歩いていったら素敵なお店がたくさんあった。すっとした手触りの真っ白な肌にするっと描かれた線の、陶器と言うには薄い焼き物のようなものは花瓶にぴったりで、このまま暮らせるなら手に入れるところだけど、でも…と迷った末に背を向けた。真鍮のフレームとガラスだけでできたフォトフレームは、シンプルでガラスのゆがみもよくて、あったら間違いなくたいせつにする、でも…でも、迷った末に手に入れない言い訳をいっしょうけんめい考えて背を向けた。ゆうわく。ゆうわく。背を向けたことは向けたけれど、いまもまだ、どうしよう、とおもっている。

夜、ベルリンにはなかった深みある味に舌鼓を打った瞬間、寒かったことは全部ふっとんだ。

2016年

[] ドレスデンのクリスマス

Esslingen am Neckarの中世版クリスマスマーケットがすごく素敵だったことを話していたら、ドレスデンにも中世のクリスマスマーケットがあると教えられた。それで我慢できずにドレスデンへ。

どうしてもEsslingen am Neckarと比べてしまう。ドレスデンよりもEsslingen am Neckarのほうが中世エリアの規模が大きく雰囲気もにおいもずっと特別。だから機会があればEsslingen am Neckarのクリスマスマーケットに行くことをおすすめしたい。

けれどドレスデンのシュトレンの種類の多さ、Fruchtbrotの多さにはほかはかなわないと思う。お店の数がとても多くてちょっと歩くだけでシュトレンのお店がわんさと出てくる。山と積まれたシュトレンのお店、というのはどのクリスマスマーケットでも見たけれど、そもそものお店の数が、ドレスデンはとても多かった。一切れ単位でも買えるので、塊で買ったあとは歩いては食べ、歩いては食べ、としているとシュトレンだけでお腹がいっぱいになる。そうしてどこのがどうおいしいのかもわからなくなる…。

2016年

[] Esslingen am Neckar

友人が連れていってくれた。Esslingen am Neckarのクリスマスマーケットには現代版と中世版のふたつのエリアがあって、中世エリアではお店の人が中世の人の格好をしていて、明かりもローソクや焚き木、暗めのランプで特別な雰囲気で燃える火の匂いに満ちていた。

遊びも中世らしく、切り株の上に置かれた卵をめがけて石を投げて当てる、とかの素朴なもので、大人も子どもも熱中していた。お金の単位は中世の"Tal"。1 Tal=1ユーロだけど、そんなところもちょっと楽しい。

ドイツのシャンパン"Sekt"の蔵出しを味わいながらぶらぶら。小さな街だけど、街中のひとが集まっているみたいにたくさんのひとが、外で冬を楽しむ。寒いのに、外で時間を過ごす。歩いてしゃべって食べて飲んで。そういう風景が、そういう関わり方が、街を元気に見せているような気がした。