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海を歩く神経に塗り替わる皮膚

2013年

[] 大阪

近づけば近づくほどわくわくしてうれしくて神経みんな吸いつけられてそれで夢中で呼吸するのを忘れるくらいだった。踏み込めるぎりぎりのところまでへばりついていたとおもう。

息をのむ、そのひとつのことの意味は正反対でもありうるのだということを、身をもって知る。そんなあれよあれよの瞬間にまみれてほとんど水のなかにいるみたいだった。

クリスマスツリーみたいにキラキラしていてあかりの揺れるのといっしょに体も揺れているみたいなきもちになる。炎の揺れるのもきれいで、壮観で、きれいで、うっとりする。

細い細い管の繊細な連なりに、そのひとつひとつに意味が役割が必要性があることに、うっとりする。

たくさんの線にほうっとなる。カメラは光をとらえられずに息切れしていた。

夢中で息するのを忘れて言葉も時間もなくなるわたしを許してくれることに甘えきっていた。

2013年

[] 鯛よし百番

行ってみたいと思ってから4年か5年が経っていた。

建物への興味と土地への興味と。

中は凝っていたけれど、いろいろボロッとしていた。

こんなところで顔見せしてたのかしら、塗り直したみたいな色、妙に近代的な装飾の天井、がさ紙をかぶせた電灯、と、歩くほどにきょろきょろしてしまうようなつくりの数々。

血の色でなくてよかったとおもう滴り落ちる液体の跡、あるいは模様。襖は引き手のところにも白い葉の絵が入っていた。窓ガラスには銃痕のような穴があって、そこから街のあかりが煌煌としているのが見えた。

中庭から見えたかすかな月がどれほど欠けていたのか、もう思い出せない。

悪い街やで、と言われた。料理組合の街。

正味1分も歩いただろうか。分からないけれど白いあかりの中で蛍光色の服や肌や太く黒い縁取りの眼や手招きを目の端にはさむだけで息がつまって呼吸もできないようなきもちだった。わたしなどが言葉にしていいことではないようなことがきっと溢れているのだとおもった。

通りひとつを挟んでマンションが建っていた。

2013年

[] 花遊小路と鴨川

長いこと歩いたのだったとおもう。なにかの感覚がなくなって代わりに光に敏感になるような歩き道だった。たぶん。

3年前に会ったひとを思い出していた。透き通るような美しさのあるひとで、儚いような透明さに、自分の前にあらわれた何かに対して全身全霊でとりくむ強さがかぶさって、その、ものごとへの向かい方をあまりにも美しいと思ったのだった。そういう取り組み方を好きだと思ったことを思い出していた。

ちゃかさず、逃げず、目をそらさず、軽んじず、涙と笑いが同時にこみあげてくるようなさみしさも、手放さず、追い払わず、生きる。それはきっとだれかにはせせら笑われるような重たさで、けれどもそのような生き方や向き合い方が身にしみついてしまっていることを自覚している。かなしみも怒りもたいせつにまるごと抱えていくのだと決めている。

誠実が世界をつなぐ、そういう世界があった。それを教えてもらったから、だから私は今も信じているのだと思う。理想だと言うひとがいてあきらめるひとがいても、その理想に向かうことは無駄ではないのだ、って。

死ねない程度の半端な大けがをして生きるくらいなら、けがをしないように気をつけるか徹底的にやって死んでしまうほうがいい。自由を天秤にかけるならば、片方にかけるものは勇気でなければならない。

2013年

[] 実験場

構造実験のための施設を見せていただいた。ヘルメットかぶって導いてくれる背中にくっついて。

ひとびとに話を聞いて歩いた2年間とそこに至るまでの1年間はあまりに楽しかった。それは近い未来と遠い未来に向かっていて、楽しくてしんどくて面白くて刺激的で頭を悩ませながらわくわく歩いていた。私は、なんでも相談してなんでも口に出してなんでもぐいぐい進めようとする生意気なひよっこで、それを受け入れて、楽しいねぇって言って一緒に考えて悩んで進めてくれるひとがいた。そのひとは、これは50年先100年先につながることなんだって言ってくれて、それを私は真に受けた。

目の前の山ほどの課題に取り組みながら、けれども、それはいつだって遠い未来につながっていて、そのことを考えなかったら進むべき道はわからなくて、だからその道を探しながらいつだって懸命で、そのような進み方を許してくれるひとたちに囲まれていた。ゆとりだと言われようとも、それによって前進していたと思っているし、していると思っている。そういえばだれだかも、学問でもなんでも、カタピラーのようにベルトと歯車の間に適当な遊びがあってこそうまく動き、前進することができるんだって言ってた。

地下では長期的な試験をしていた。すぐにはなにかが目に見えるわけではない、けれどもそれは必要なことで、どこかできっと役に立ってしまうのだった。そういうものを、私は好きで、そういうものに関わっていられることのしあわせをかみしめている。それが私の懸命なのだとこころの底から思っていた。身のうちを這う神経が、いまもそう思っている。

批評や批判にどきりとすることもあるし正直なところ吐き気のするくだらない言葉が投げつけられることもあるけれど、そのような高みの見物にはほんとうに反吐の出る思いになるのでぺっぺと散らしたくなるし、だからこそ共に懸命を歩んでくれるひとのあることに喜びありがたく思いそのようなひとたちをたいせつにしようと思う。検討の抜け落ちた評価や正当に示されない評価はほんとうにどうでもよいことでそのようなものに振り回される必要なんてなくて、あなたはあなたたちはその存在は尊いものだよだれにも奪われないよと、そう思うことはそのように伝えたい。

2013年

[] リトル・インディアのマーケット

シンガポール。それはわたしの知らない国なのに、ものごころついたころから知っている名前だった。2歳のころに連れて行ってもらったという記憶のない事実を父と母がくちにすると、朱色のハーフパンツに薄い桃色のシャツの2歳のわたしを抱き寄せて笑っている母の写真をぼんやり思い出す。覚えのないシンガポールとはどのようなところなのだろうとふわふわしたきもちになる。父と母はわたしを連れて、どんなところをどんなふうにして歩いていたのかなと、風景は思い浮かばないままおもう。そうして、具体的に「行く」「歩く」「見る」ということとむすびつくことなく、どのような絵も持たないまま、ただなんとなく「いつか行ってみたいな」という思いに似たきもちになる。そういう場所、だった。

いつのまにかわたしは自分で飛行機に乗っかって知らない国を歩くようになって、けれどもまだシンガポールにはぼんやりなのだった。ほとんど親戚かそれ以上くらいの親しさでわたしの生まれる前から家族ぐるみの付き合いのある父の同級生がシンガポールに単身赴任と決まったと聞いて、それからだとおもう。無意識に具体的な場所になって、実家に帰るのとおなじくらいに自然な流れで、わたしはもう行くつもりになっていた。

雪の寒さから、到着したらそこは夏の国。いつもと違ってお迎えのあるスタート。なんて快適。なんてラクチン。なんて安心。

異国で見る違う季節のひさしぶりの顔は、なんだか違和感があって知らないひとを見るみたいなきもちになる。そんな違和感は1時間もしないうちになくなるのだけれど、原因は激痩せだった。

出発の数日前、シンガポールで行きたい場所を探した。欲張ってあれこれ言って、けっきょくぜんぶ連れて行ってもらった。車に乗っかっていればいいだけってスゴイ。いろんなルールをするする通過していく。

ここはリトル・インディア。シンガポールにはマレー系、中国系、インド系のひとがいて、それぞれの街がある。公用語はそういうわけで、英語プラスマレー語、中国語、タミル語の4つ。そのそれぞれの街を、歩いてみたかった。はじめに訪れたこの街は、まだ朝早かったので動き出し始めで、それでもマーケットにはすでにひとが集まり始めていた。数年前に見た上海を思い出す。上海よりも複雑な、すこし華のあるにおいがする。スパイスだと言われて、そうかここはインドだから、とおもう。

シンガポールの物価は日本とほとんど同じで、でも、ちょっとぜいたくな品はとんでもなく高くてびっくりする。そのくせ量産品は、大丈夫かしらとおもうほど安くてまたびっくりする。