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海を歩く神経に塗り替わる皮膚

2018年

[] 天下茶屋・忠霊塔

太宰治が滞在したという天下茶屋にあがって見学。

富士山を信仰の対象としてお参りするひとがいて、そういう歴史が積み重なっているとは知らなかった。お参りする経済力のあるひとが、あるいは長い年月お金を貯めてお参りにやってきたひとが、その前に御師(おし)の家に泊まったらしい。その御師の家で、災害で参道の位置が変わったこと、どんな荷物で、どんな食事をして、登って行ったかというお話を聞かせてもらった。

富士吉田の忠霊塔はひとでいっぱいだった。自分の目ではたくさんの色が見えたのにカメラは息切れ。人間の目ってすごいなぁとあらためておもう。

橙色の灯篭、鳥居の赤、紅葉の朱、あざやかな季節。

2018年

[] 赤沢・伊奈ヶ湖・赤石温泉

素敵なところを見つけたんだよ、という声が届いたのは1年か2年前。帰ったら行きますと約束した。

素敵なところだった。静かにひっそりと山の陰にある宿場町、いや、村、かな。山から山へ、詣でるひとの通る道で疲れた足を休められるようにと。坂の多い山間の村は、紅葉のはじまったところだった。

この土地のひとの家族になってあちこち歩くうちにとてもいいところだと気づいたのでぜひいろいろ見てほしいと嬉しそうに話しながら案内してくれた伊奈ヶ湖は、きらきらしていて、紅葉もきらきらしていた。

それから赤石温泉へ。冬は滝が凍って龍のようになるので龍神の滝なんだと宿のご主人が話してくれた。

2018年

[] 穴

前の冬からいまの秋までの記録はいずれ埋めるとして(埋めた)、その前に書いておかなくてはならないなとおもって、開いた。

秋は好きな季節で、いまでもいちばん好き。これまでに秋のかなしい記憶はほとんど思い浮かばない。けれども今年は、ひとりの友達を失った。はじめて会ってからもうすぐ20年になるというときに突きつけられただいぶ突然の宣告みたいなものだった。そのすぐあと、私はほんのすこし怒りに似たかなしみが、ここに浮かんでいるなぁと眺めていた。こんなふうになるなんてなぁと。強くはないかなしみで、怒りでもあって、けれどもやっぱりかなしみだった。

届く言葉はちぐはぐだった。私には受け止められなくて、でも私の受け止められなさはどうやらつたわらなくて、それで想像力が足りないと言われた。そういうきみにあるはずの想像力はどこにいったの、どう働いているの、と聞きたいとおもったけれど、でもきっといま聞き返しても届かないままになる、とおもって言わないでいたら、ひとりで決めた結論を投げるだけ投げてなんにも説明しないまま、閉じられた。

どうしてっておもってちょっと理解できないところと、でもこれまでも理解のできなさはあったことを思い出して、しょうがない、と言うしかないことかもしれない、とおもい直した。

そんなの勝手すぎる、って、言ってもよかったのかもしれない。でも、やめた。なんだか疲れたみたいな気持ちになった。説得は、しなくていいや、とおもった。代わりに、伝わらないだろうとは思いつつ、ひとつだけ、伝えた。やっぱり伝わらないようだったけれど、べつの言葉で説明する気にはならなかった。私は、あきらめた。もう、いいことにした。

あきらめたから、だから、生きているのに連絡することはできなくなった。そしてきっともう連絡はこない。生きていればいいか、とも思う。これまでだってそんなに変わりはなかった。でも、連絡できた。何年も会わないのが当たり前で、卒業してから会ったのは3度かそこいらで、それでも会う可能性があった。生きていたから。それが、なくなった。生きているのに。それだけのことで、それだけのことが、ずいぶんな違いで、ひどいなぁとおもう。

生きていて、生きていなくなったとしてもそのことを知る術がなかったら、交わし合ったもののことをきっとときおり思い出したり思い出さなかったりしながら遠い記憶になっていって、どこかで生きているかもしれないという思いと一緒にもしかしたらもう生きていないかもしれないとおもったりもするんだろう。

とても長い時間が、もうなんでもなかったみたいになるのは、さみしい。なくなってなんかいないのに。

でも実際、なんでもなかったみたいになれるくらい、遠かったのだともおもう。それは間をつなぐものが、ほんとうになにもなくて、私たちは私たちだけで、まわりの支えになるようなものはおどろくほどゼロで、まわりが、なにもないからだということに、いまさらながら思い至った。私たちがやめたら、終わる。そういう細くて頼りない一本だけの糸だった。だからどちらか片方が、もう拾わないと決めて手を放したら、二度と戻らない。そういうつながりだった。そうして、手は放された。そのことに後悔みたいな気持ちはなくて、とても透明で、だから私たちはほんとうに不思議なつながりだったとおもう。

数年会わなかったら顔だって忘れる。私はひとの顔をあまり覚えない。まして目を合わせないひとの顔だ。覚えているほうが不思議なくらいだとおもう。だから、そうして、残るのは存在の気配の記憶だけになるんだろう。あったはずの時間の気配。残るんだろうか。それすら忘れてしまうかもしれない。

きみはきれいでまっすぐでそうして勝手に納得した。私はそれも、きみのよさだとおもっていたし、それでよかった。そうして受け止めようとしてきた。そのくらいは、伝わっていたとおもいたい。でも、どうかな。わからない。わからないままにして、私はきっと忘れるんだろう。忘れても、きみがしあわせであることを願うよ。

2018年

[] 四万温泉

長いこと仕事を休まざるを得ないでいる仕事の好きな子が、会いたい、会いたい、と言ってくれるので会いに行った。

日々のどうしようもなさを空や緑や水になぐさめてもらっている、たとえばここ、たとえばここ、とそれぞれの救いの場所に連れて行ってくれた。

残酷な人たちからひどい扱いを受けているその子に、たいした経験もない私が言えることは少なくて、現実的な解決の道については公の専門家に相談するのが一番いいのだと、先輩たちが教えてくれたことをあとから伝えた。

好きな場所が、まわりにいる人間によってつらい場所になっているとき、そこにいつづけるのがしあわせとは限らない。どうか、はやく、逃げてほしいと、そのための仕組みのことを知っている同僚の経験を、これまたあとから伝えた。

2018年

[] London

1年間のロンドンが終わって、2年間の留学が終わった。ベルリンでしたような住民登録の抹消は、ロンドンではしなかった。市役所っぽいところには一度も用事がなかった。

ロンドンの1年間はなんだかベルリンにいたときよりも忙しくて、旅にもあんまり行けなかった。それでも、うつくしいものをたくさん見た。さわって、感じて、笑って、話して、食べて、歩いて、考えて、泣いて、苦しんで、やっぱりけがして、学んで、助けてもらって、そうしてどうにか論文を終えた。長かったし、短かった。しあわせな時間だった。めいっぱい楽しんだ。でもまだ続けたかった。

ロの字型の外型、空の広がる側の部屋で、空に助けられた。木枠の窓で寒くて暑かったけれど、中庭側のサッシの窓の部屋に変えてほしいと交渉しなかったのはただしい選択だった。空がなかったらきっと生きられなかった。

できないことはできないまま、できるようになりたくてもできるようにならなかったこと、どうしたらいいのかわからないこと、そういうものが変わらずに、ある。

intelligent, insightful, and visionary. 先生がくれた言葉は、残念ながらいまの私には当てはまらない。だから当てはまるような人間になりたいな、とおもう。