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海を歩く神経に塗り替わる皮膚

2014年

[] 鯖江市図書館 "文化の館"

帰ってきてカメラを覗いてはじめて、図書館の外ではカメラを持たなかったことに気づいた。きっとまぶしすぎたのだし、黄金色の稲穂の豊かな平原に心が伸びて、止まらないおしゃべりになにもかもを忘れていた。

白い壁の上に空があって、高い空間の下に骨があって、やさしいミニ空港みたいなこんな天井ってとてもいい。

子どもたちを迎えるおそらくは牛乳パックのうるんだ目たちに思わず足がとまる。やわらかな目になる。しずかになって、にっこり笑う。穏やかな愛がもたらされる。

子どもの気持ちになって背伸びをして本の背中を覗いてみた。新しい景色だった。厚みのある表紙と背表紙の本たちってこんなに安心だったんだな、って。

学校に送られる本たちの集まり方を聞いて、ひとを大切にする土地だからきっとひとが集まるのだと思った。「だれか」を思うこと。自分の知らない「だれか」、見えない「だれか」、会ったことのない、会うことのない、それでも無関係ではない「だれか」につながる「なにか」をすること。

手渡すこと。

なにによってつなぎとめられているのか。「なもなもなんも」という言葉を耳にくりかえして、おもう。なにによって?

2014年

[] 足尾銅山・渡良瀬

待ち合わせの時間になるまでのあいだに足尾の坑道を歩いた。珍しく事故が少なかったという銅山。土のなかから途切れることなく流れ出しつづける水に、人間の手出しのできない領域をここにも思う。

白い花をふらふらしていたら電車が来た。無声映画を見ているみたいに静かで、風の音もしないくらいだった。駅を離れて山の脇を見ながらも、音のなかった風を何度も感じていた。

枯れた山に言い訳の樹を植える。植えるまえに息がきれた。ななめの山はこわく、ななめの土には石が多かった。穴を掘って、風に倒れるかもしれないけれどという言葉を聞きながら土を固める。100万本を目指して1年に1万本、植えた苗木が樹になるかどうかはわからないけれど。

私の家の木の芽や花は鹿が食べてしまう。ここには食べに来ないのかしらとおもいながら実りへの気の遠くなるような労力を想像した。だってまだまだの黒山なんだもの。

むかしは松木村があったというところに、その村のひとたちがつくったらしい墓碑は、草木に囲まれて涼しげだった。いとなみの中でうみだされたさまざまなものが、消えて。私のふるさとが、消えたときには、きっとぽっかりする。

たくさんのお墓を見た。よい風の吹くなか、苦しみについての話を聞いて、たたかったひととたたかっているひとのことを考えた。つめたい風が吹いた。

人間はよけいなことをしないのが一番だとおもう。そう言ったら笑われた。けれどもほんとうにそうおもっている。ずっとまえから。山を汚さないこと。水を汚さないこと。そう努めたとしても、生きているだけで人間は汚してしまうのだから。

ガンジーのようなひとが、日本にもいたんだなぁと、歴史を知らないわたしは博物館でぼんやり感銘を受ける。抵抗しないでたたかうことに力を尽くしたひとが、いたんだなぁと。全身全霊で「たいせつなこと」に力を尽くすのはたのしいよといううたは、きっとほんとうのこと。

空は晴れ渡ってまぶしくてまぶしくて、夏のように青かった。ひさしぶりの渡良瀬は、前と同じように広かった。でも、ここにも村があって、そしてここに消えたなんて、知らなかった。原発事故で住み慣れた生活の場を追われたひととおなじように、ここに生活していたひとたちも鉱毒のために生活の場と手段を奪われていたなんて。

渡良瀬遊水地が鉱毒を沈殿させるために作られたものだったなんて。

追われたひとは、ここに来て、ふるさとに重ねて涙したという。

背の高い葦に、気球で着地したときの興奮を思い出す。葦の中から這い出したあのときにも、まぶしくてさわやかな風の中に見上げるしかできない空があって、わたしはなにもできないとおもった。

2014年

[] オホーツクの流氷

飛ばない飛行機のなかを飛んで、到着したら雪はやんで晴れ渡っていた。世界は白く輝いてみりみり刺してくる。まぶしくてまぶしくて目を開けていられない。

船着き場を見ると雪が山のよう。どんなかしらと思わず足を突っ込んだらズボッと膝上まで埋まった。っ、つめたっ、とおもったときには時すでに遅し、ブーツの中に雪が入り込んでみるみる溶けて、しかたないからブーツを脱いで雪をはらった。積もりたてのさらさらの雪は見た目もなめらかで美しくきらきらしている。生クリームを失敗したみたいなぽこぽこの雪は触ると固くてきっちり雪なのだった。

海へ出るとまもなく流氷。沖のほうにしかなければたどり着かずに戻ってしまうし近すぎれば海に出られないガリンコ号は無事に出発。今回もよい感じ。もちろん私たちは日頃の行いが良すぎるとはしゃいでは笑い転げる。海全体にうっすら氷がはっていて、海面の揺れにあわせて氷は山になり、船の進みにあわせて波が落ちると耐えきれなくなったように氷が剥がれて割れていく。それだけでどきどきする。

いくつにわかれたか知れない氷。

大陸と大陸がぶつかって山脈をつくりあたらしい大陸になるように、氷と氷がぶつかって島になるのだという。

どう見てもおいしそうな氷。

これが海だなんて思えない。

砂漠か山脈を宇宙から見たらこんなふうにきれいかもしれない。

フォトジェニックなひとがいた。

おひさまがまぶしくて、でも、あたたかくて。

砂漠の花になりかけの氷。

あわあわの波、すくいあげてみたくなる。そんなことしたら即死だと言われてだまる。わたしの命の一部の目の前で率先して落っこちるわけにはちょっといかない。

こまかくきれいなあわあわの波はやっぱりおいしそう。

1時間も北国の真冬の海の風のなかに突っ立っていればさすがに寒く指は動かなくなった。それでも輝く空におもわずカメラを向けてしまうので呆れられた。わたしたちはもちろん海と空が好き。

ありがとう、ありがとう。

2014年

[] 冬の朝

目が覚めたら空がきれいで、冬の朝はもちろん散歩をするべきであると合意してお散歩へ。

朝から空が青すぎるまぶしすぎる白すぎるとさわいでいたら、

りっぱなつらら。

そして雪にはきらきらの縞。あまりにきれいで触れることができなかった。透き通る青と輝く白の世界。

どこがなんの道やらわからない白さで、まっしろで、たいらにまっしろで、触ったら粒よりちいさな細かな雪で、すべすべだった。

きつね、きた。

2014年

[] 山の水族館

氷の張った海の中から空を見上げてみたいとおもっていた。そうしたらこんなところで見ることができた。

ホネホネなスケスケの魚たちは筒のなかをくるくる泳いでいた。真冬でも水槽のなかはきっと適温。

つくりものみたいなひとはほとんど動かなくてますますつくりもののよう。

それからおいしそうなひとたちを見てお腹を空かせた。